平和教育登戸研究所資料館
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明治大学生田キャンパス内にある、「平和教育登戸研究所資料館」に行ってきました。

戦争資料館ではありますが、ただのそれとは違っていて。
毒薬、細菌兵器などの研究、スパイ、人体実験、偽札の製造、殺人光線まで、
「武力戦」の背景にある「秘密戦」に関する研究所として戦時中に存在しつつも、
長くベールに包まれてきた施設。
普段から開館していますが、時々館長さんのガイドつき見学会があり、
それを狙って申し込んで参加してきたのでした。
解説が面白く、もの凄くわかりやすく、本当に良かったです!
想像してたよりもずっと、真剣にこれらをかなりの高度な技術で研究していたんだという事を知って
本当に驚きましたし、他の参加者さんたちの知識博識が凄くて、飛び出す質問も面白かった。

通称「登戸研究所」は、人道的にも公にできないような研究を含め、活動していたわけですが、
潤沢な資金と相当な技術力で、実際かなりの成果(戦果)を上げていたようです。
戦争が終わると同時にそれだけの技術と資料は、戦犯になるはずだった研究者の命と引き換えにアメリカに渡ったり、
また、日本側も終戦と同時にこれら資料の証拠隠滅を図ったり、という事があったのですが、
とにかく、あってはいけない施設ですから、戦後はすぐに閉鎖、そこにかかわった人も長く口を開かず、
昭和の終わりごろになってやっと、登戸研究所に関するものをあらためて集め、保存する動きになりました。
そこでこの研究所の全貌が明らかになっていった。この資料館ができたのも2010年です。

上の写真は弾薬庫ですが、当時も普通の倉庫として使われていたようです。
明治大学がこの土地を買い、色々な建物はそのまま引き継がれて使われたりもしつつ、
老朽化が進んで今は殆どが解体となってしまったそうですが、資料館は当時の建物のままですし
あとはこの弾薬庫が2つ。でもこの弾薬庫、園芸部がわりと最近まで部室として使っていたと聞いて驚きました。

下の写真は風船爆弾に使われる高級和紙を貼り合わせて膨らませているところです。
日本の素晴らしい技術が爆弾になるという皮肉です。
(軽くて薄くて丈夫な高級和紙でないといけなかったそうです。しかも貼り合わせはこんにゃくのり。ガス漏れ防止効果が高かったそう。そのためこんにゃくは食用までまわらず戦時中は食べられない時期もあったようです。)
それにしてもこの風船爆弾も、解説を聞くと相当な高い技術力の具現化でした。
無人の風船爆弾を、零下50度にもなる上空を飛ばしてアメリカまで来たら落とす、
それを自動化しているということですからね。
皮肉だけど、日本の技術力の高さに唸ります。
飛ばす場所は決まっていて、千葉や茨城のあたりの数か所。
これより北だとソ連の方に飛んで行ってしまう事、これより南だと偏西風に乗れないから
色々な分析の下、この場所になっているのだそうです。
そしてアメリカも、風船爆弾の、重りとして袋に詰められた砂を解析して、
風船爆弾を飛ばす場所を割り出し、そこに空襲を仕掛けたのだそうです。

明治大学生田キャンパスにある学部は理工学部と農学部のみですが、
理系技術の高さと倫理について、とか
戦争を「過去の忘れてはいけない事実」というだけにせず、自分事として捉えていけるよう
館長も生徒に向けて講義をしているそうで、その話がとても印象的でした。

戦争の隠された一面。暗部を知ることができます。
もし行くならガイド付きが絶対におすすめです!


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陸軍登戸研究所の真実

伴 繁雄/芙蓉書房出版

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Top▲ | by polka-drops | 2016-05-07 22:50 | おでかけしました
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